saving grace

希望に満ち溢れた世界になりますように

今振り返ってみて思うこと

まさか自分がblog(伝道ブログ)を書くとは、思いもしませんでした。
以前、raptさんが御言葉で「証を書きなさい」と言われてた時も、“証…ん……”と言う感じでした。
ツイッター上では、既に兄弟姉妹の方達が “証”を書いてツイートされていました。
一方、私はぐずぐず。
そんなある日、急に熱いものが込み上げて来て涙が止まらなくなりました。

ぐずぐずしていた私もやっと行動開始!
考えた末私は “ブログで証を書こう”と言う思いに至りました。ネットで調べて見ると、“初心者でも簡単に直にブログを始める事が出来る”と言われていた Hatena Blogで書く事にしました。
“ブログの名前を何にようかな?“となり、その時、何故か “救い”と言う言葉が浮かんで来ました。
そのまま “救い”としても良かったのですが、ひとまずネット検索!
すると https://bit.ly/2K202EQ がヒットしました。
私は、“これ、意味合いも良い!”(※ 1の方です)迷う事なく《saving grace》と言う名前のブログにしました。
やはり最初は、「RAPT blog」とどう出会ったのかを書こうと思いました。
ようやく書き終えいざ公開。(^.^; …

書き終えた満足感も束の間、何故かまた記事を書かないと行けない衝動に駆られました。
そして、次の記事を書き公開。そしてまた次の記事を書かないと行けない衝動に駆られ、また記事を書いて公開の連続でした。
しかも、一つ記事を書き終えて公開した後、“次はこう言う内容の記事を書こう!”と言う構想が出て来て、その書こうとしている記事の内容に向けて、ひたすらRAPT blogの記事を読んだり、聴いたりメモったり。
記事を書かないと行けない衝動に駆られてからは、“神様、豊かな構想と文章能力を与えて下さい”と、祈り求めました。
https://rapt-neo.com/?p=50366

新約聖書
《マタイによる福音書 7:7》
 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
               [新共同訳]

記事を一通り書き終えて読んで見ると、“何かが足りない”感じがしました。
そう思っていると、『聖書』に手が伸びページを捲ってみると、書いてる記事の内容に “バッチリ!合う聖句”が出て来ました。
私は、“これは凄い!! ”と、驚き!& 喜び♪
早速、見付けた聖句を記事に加えました。
すると、記事が “ビシッ!”と引き締まった感じがしました。

全ての記事に言える事ですが、「聖霊の賜物」の記事はなかなか文章が纏まらず、“神様、どう書けばいいのか分かりません”と、神様に祈り求めました。
聖霊の賜物」の記事を何とか無事に書けましたが、一番悩んだのは「更に光輝いて」の記事でした。「練達」と「鍛錬」“何だかよく似ている”と思い、この時も、“神様、どう書けば良いのか分かりません”と、また神様に祈り求めました。
祈り求めた後、過去の有料記事を読んでいた時に、先生の御言葉(箴言)が出て来ました。
私は、“これだ!” と一人で大喜び。^ ^♪
あの時、先生の御言葉(箴言)が出て来なければ、「更に光り輝いて」の記事は書けていませんでした。

神様に祈り求め、直ぐに与えて下さる時や少し日にちがかかる時もありましたが、神様は、与えて下さいました。(感謝)
“確かraptさん、こう言ってたような…。その記事どれだったかな…”と思っていた時に、探していた記事が直に出て来た時は、とても嬉しく思いました。

私は、どの記事を書く時も必死でした。^^;
矛盾した言い方になりますが、必死さの中にも楽しさがありました。
記事を書いている時、神様が “驚き”と“楽しさ”を与えて下いました。(感謝)

神様『次はこう言う内容の記事を書きなさい』
私 「はい」
神様『ここはこう書きなさい』 
私 「はい」“!!”
神様『そこはこの「Rapt blog」の記事』
私 「はい」“!”
神様『ここはこの《聖句》』
私 「はい」“!!!!!”
私  “♪”
            と言う感じです。^ ^

記事のタイトルをどうしようか考えていた時も、ふっと記事のタイトルが浮かんで来たりしました。

今こうして振り返ってみて思う事は、“決して自分の力だけで書いたブログではない”と言えます。
“神様の働きによって書けたブログ”だとつくづく思います。

新約聖書
《コリントの信徒への手紙一 12:4〜7》
 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
               [新共同訳]

このブログを書き終えた後、暫くしてまたブログを書かないと行けない衝動に駆られました。
《saving grace》は、“霊的な内容”のブログです。
別のブログ《mezamerutoki》は、“肉的な内容”のブログです。
その構想も与えて下さり神様に感謝します。
※読んで見て下さい。https://bit.ly/35z9jQX

《コリントの信徒への手紙一 6:19〜20》
知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。
               [新共同訳]

新約聖書
《コリントの信徒への手紙一 12:31》
あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。
               [新共同訳]


これからも “義の条件”を立て何処までも神様と愛を成し、神様の働きが出来る様になって行きたいと思います。